「歌としては、かすれる、蚊の鳴くような声(小さい)だし
歌としてはあれなんだけどね、とり肌がたつんだ。
とり肌がたつ、という事実。
これは理屈ではない。
あなたの声は人の心を動かすんだ。
あなたのセッションをとおして解放されて変わるのは
テクニックでも理屈でもないんだね。
どんなに上手でも 感動でとり肌がたたない歌もたくさんある。
あなたの声は、糖衣だよ!
正露丸糖衣ね!
苦くて臭くても効く正露丸なんだけど
あなたのエネルギーは糖衣だから
核を、甘く優しく消化しやすいように届けることができるんだ!
それはもちろん声じゃなくて文からも伝わるエネルギーだよね。」
正露丸糖衣で大笑いした🤣
2月から通い始めたボイストレーニングの先生は
個人の生き方在り方そのものを磨いていく
深くて高い視点。
先生に出逢えたことも奇跡の喜び。
歌が上手になるために通っているボイトレではなくて
「自分」という表現体のひとつである
「声」をつかうことの役割を
さらに発揮しないといけない使命感のようなものに動かされて
通い始めました。
ボイトレも
やりたいからやりたくないか、でいうと
やりたくない がチラッと出てくる。
やらない通わない のほうがラクだし
安全な感じもしている。
なんか晒すような 恥ずかしいような感じがあるしな。
好きかきらいか
やりたいかやりたくないか の基準で
ものごとを選ぶこととはまた別。
外側から動かされるような
「やらなければならないこと」のような感覚で動かされる。
動機が起こる。
声をつかう ということ。
自我としてはやりたくないけど、魂が求めるのかな。
「世の中のお役にたつならば」という
ありきたりな言葉が1番しっくりする。
奥がめちゃんこ喜ぶ。
だからまぁ結局、やりたい! なんだよな☆
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