「のぶさんってそんなにハート開いてて
感受性強くて体も繊細なのに毎日のようにセッションしていて疲れないんですか!??」
昔は疲れていたけど、疲れなくなりました😆
いくつかの要因があるけど
そのうちのひとつは
私の感受性が「可哀想」ということに反応しなくなったから。
クライアントさんがどんなに悩んでいても困っていても
可哀想ではないから、いたって冷静俯瞰視点でいられます。
感情が一緒にならないから
クライアントさんはご自身のタイミングでスグ抜けます。
(感情が一緒になるとそのドラマに一緒にハマり込んで長引いたり
境界線引いてるつもりでも個人的な投影が起こってアドバイスの言葉が上っ面になる)
可哀想っぽいことに反応が出ないから
ドライで冷たい と思われることもあります。
でも、誰も可哀想ではない。
可哀想な私 というような自己憐憫がなくなってから
セッションで疲れなくなりました。
まぁ自己憐憫はゼロではないだろうし
日によって出てくるときもあるし
何か新しい領域にチャレンジしようとすれば出てくるだろうが。
悲劇のヒロインの酔ってる感も生きる醍醐味よね☺️
「可哀想な私」がいなくなれば
「可哀想な相手」もいなくなるんです。
可哀想に、見えなくなる。
相手と同一化して外界のエネルギー取り込みやすいエンパスもHSPも
自己憐憫がなくなるとセッションでは
お相手の力になることに非常に役に立ちます。
理解したうえで共振して
別次元に移動するヒーリングをエネルギー場でかってに起こせるのでネ。
なので繊細敏感系の提供者さん(クライアントさん)もこなせる活動量が増えます。
「ひとりの時間はあたりまえに確保する」は
三次元対策として必須にはなるけどネ。
あくまでもひとつの要因をかきました。
でも1番大きいのは
「自分とご縁する人はどんな人がいいか。
どんな感情感覚を味わいたいか」を丁寧に決めること。
ここを決めていないと
いろんな登場人物に振り回されやすくなる。
決めると、そもそも自分にとってめちゃんこ疲れる人が
自分の世界に登場しなくなるからね😉
決めてもそもそも「不快な人がいたほうが成長する」という観念が強い場合は
不快な人を創り出すので
「成長」に対しての定義も変えて、溶かしていきませう。
#エンパスのままでラクに幸せに
#エンパスのせいにして可能性を閉じなくていい
#関係性のワークオリジナルテキスト
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